ご売約「応援企画」古伊万里 コンプラ瓶(酒)
商品コード: MH2312-01
コレクター様のコレクション整理のお手伝い
終活応援企画!委託品です
当店が最後までお手伝いします!!
オランダ東インド会社(VOC)により輸出された瓶
1828年~1829年に作られたものといわれています
(1830年シーボルトがオランダに持ち帰った瓶の筆致と酷似)
今まで扱ったコンプラ瓶の中では手取りが軽く作りが端正
たくさん輸出されたコンプラ瓶は
「JAPANSCH ZOYA」(日本の醤油)がほとんど
20〜30本に1本というくらいの割合で「ZAKY」(酒)がある
(100本に1本という方も居ます(談・中島誠之助氏)
酒瓶は非常に稀、オシャレな希少品です!
「応援企画」古伊万里 コンプラ瓶(酒)
江戸後期(1828~1829年)19世紀前半
口径3.2cm 高さ18.4cm 底径6.2cm
無傷(口に窯傷1) 重さ442g 肩までの容量約600㏄
ご売約ありがとうございました!
焼き上がり、発色良いです
気にする歪みありません、座り良好
胴部に釉薬の流れた跡がありそこも見所のひとつ
シーボルトはドイツ生まれの医者。大学卒業後、国内で医者として働いていましたが、見知らぬ国の自然などに興味があり、そのころ世界中で貿易をしていたオランダの陸軍軍医となりました。オランダの命令でただ医者としてだけではなく日本との貿易のために日本について調べてくるよう命じられていました。蘭学を伝えた医者であり学者で、途中シーボルト事件で国外退去(追放)となる1830年までいわゆる江戸時代後期の文政時代に使っていた一般的な生活用品(一般的なには少し疑問笑)をすべてオランダに持ち帰りました。持ち帰った品々を1830年代に「日本博物館」としてオープンしました。西洋人初の日本博物館。日本の植物押し花、標本、動物生物絵画、日本のあらゆる物品を本格的に収集した最初の西洋人といわれています。この博物館は、絵画や磁器だけでなく当時の生活に使われたものまでがあり、のち新たに収蔵品を増やすことなく、また削除もしないまま、現在オランダ・ライデン市の「日本博物館シーボルトハウス」として今に至っています。参考にシーボルトハウス内部と瓶(口作りはガリポット)の画像も添付しました。
イイなぁ~と思う気持ちを共有し、
次のお好きな方へ、次の蒐集家さまへ、
時を超えて次の世代におつなぎお渡しするのも当店の仕事です。
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